蝶になったあの日から

乙女心と秋の空 / HEAVY MENTAL HERTZ

母の日

 わたしは母の顔をよく覚えていない。この瞳に映っていた時期は確実にあるのだ。しかし、記憶には残っていない。海馬からすっぽりと抜け落ちている。
 わたしがまだ小さい頃、外に男を作って、それが原因で離婚したらしい。父からそう聞いている。
 夫婦が別れるに当たって、どちらか一方だけに責任があるとは考えにくいけれども、親権は父が取ったという事実からして、どうやら本当だろうと今は思っている。
 祖父母は遠く、飛行機を使わなくちゃ行けないところに住んでいて頼れない。必然、父はひとりでわたしを育ててくれた。もちろん、保育園や学童保育といった手助けを目いっぱい借りてのことだが。
 男女同権の世の中になっても、やはり「子育ては女がするもの」という風潮がまだある。きっとそのほうが生物として自然だ。差別じゃなくて、役割分担として。
 だから、父はすごい。
 父親の役目に加え、母親の役目も一手に引き受けて、手のかかる幼少期も、ありがちなデリケートな思春期も、真正面から向かい合ってくれた。わたしの持つどんな刃もその体でしっかり受け止めてくれた。
 結婚式のときに、父しかいなくても、けっして恥ずかしくなかった。むしろ、誇らしかったくらい。あのとき、初めて父が泣くのを見た。わたしもつられて泣いた。嬉しくて、悲しくて、切なくて。ひどく胸を締め付けられた。苦しかったけれども、温かかった。涙が終わったあとは、お互い笑顔だった。
 そして、わたしには子どもができました。あなたのような立派な「母」になることを誓います。