蝶になったあの日から

乙女心と秋の空 / HEAVY MENTAL HERTZ

 id:meltyloveさんの丁寧さに倣いたい。倣おう。端くれではあるが、わたしは言葉で紡いだ物語を売っているのだ。


 というわけで、最近「夢を売る」という物言いにひっかかりを覚えている。「そもそも夢は売れる代物ではない」という指摘ではない。夢や感動はあとについてくるものじゃないか? と。
 芝居。スポーツ。小説。何でもいい。それらを見たり、触れたりするときこれは夢を感じていると認識して楽しむことはないと思う。
「作り手側へ行きたい」と思わせたら、それは「夢を売る」ことに成功したと言えるだろう。あこがれは素晴らしい。ただ、一緒に働きたいと思わせることまで考えてやる・創るのは要らないと思うのだ。
 よくわたしが思い出すのがチャップリンの言葉。“薔薇は美しく咲こうとするのではない。ただ、咲きたいが為に咲くのだ。だから、美しい。”確かそんな内容だったと思う。
 余計な意図は持たず、純粋に励むからこそ幸せな結果が生まれる。そう信じている。
 だが、ここで「待てよ」となった。わたしは美しくなりたい。優雅になりたい。意図を持っているのだ。これは余計だろうか? 不純だろうか? 思うことで道から外れてしまうのでは?
 しかし、動機なんてものは不純でいいのだとも思う。一般に不純と称される動機で人類は進歩してきた。
 でも、人類の進歩など目的にない。わたし個人の姿勢と制作物が美しく優雅になることが願いなのだ。
 わからなくなってきた。保留。