今日は早起き。早くから働きに出る母と、久しぶりに一緒に朝食。
出かけるつもりが、うだうだしてしまう。
三時ごろになって、読書に集中する為に、近所の喫茶店に行く。そこで、最果タヒ『きみの言い訳は最高の芸術』を読んだ。
明日から仕事。今日は意識して長く書いてみようと思う。
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わたしは、「小説を書き始めたきっかけは?」と尋ねられると困る。それには二つ理由がある。一つ。明確に、「これ」というものがないから。もう一つ。もしそれを言ってしまうと面倒なことになるであろうから。
前者について、あやふやながら思い出してみよう。大学生の三年か四年のとき、あまりにも時間があったので、本を読みまくろうと試みて、図書館に行って人文系の本をたくさん借りた。その中で、気まぐれに小説のコーナーに行って見てみると「嶽本野ばら」という文字を見つけた。なぜかそれが気になって手に取ってみると、最初の一文が美しかったので魅了された(『ミシン』に収録の「世界の終わりという名の雑貨店」)。家に帰って全部読むと、自分の生きづらさを慰め、生き方を肯定されている気がして、そのころに出ていた著書は全部読んだ。でも、それで終わった。小説は書き始めなかった。その代わりと言ってはなんだが、自分のサイトで日記は書き続けていた。まだはてなダイアリーも無い時代。そして、時は流れ、会社員になる。三年目に心身を共に壊した。少し回復し、休職している間、ジュンク堂池袋店に行っては本を買って読んでいた。ライトノベル熱が復活し、「文学少女」シリーズに出会う。その最初の本で……。ここから先は、後者の理由に繋がるので言えない。でも、過去にどこかで言ったり書いたりしているかもしれないから、もしかしたら既に知っている人もいるかもしれない。
もっと書きたいなあ。過去を語るのは、整理をする意味ではよいけど、そこではなくて、思ったこと、考えたこと、感じたことを、生でぶつけたい。あゝ、言葉にするのが難しくてむずがゆい。アウトプットする為には、インプットしなければならない。呼吸のようにしたい。
たゆまぬ努力を。己は凡人だという自覚を持て。羽生善治氏の名言にこんなものがある。
“何かに挑戦したら
確実に報われるのであれば、
誰でも必ず挑戦するだろう。
報われないかもしれないところで、
同じ情熱、気力、モチベーションをもって
継続しているのは非常に大変なことであり、
私は、それこそが
才能だと思っている。”
その意味じゃ、諦めていないぜ。