蝶になったあの日から

乙女心と秋の空 / HEAVY MENTAL HERTZ

面。

 朝一番、居間の大きなTVモニターを、出張買取しにきてくれた業者に売却。僕の部屋にある母退避用のものを居間に移動。

 その後、母は方々へ連絡・挨拶。僕はケータイの解約へ。

 解約手続きであちらさんがしくじったせいで、僕がものすごく面倒くさい事態になってしまった。あのショップで嫌な目に合うのは、これで3回目だ。

 備忘録を少しだけ見せてもらった。もし全部読んだら、涙が止まらなくなりそうだったので、見るのはやめておいた。

 

 

 誕生日まで、あと61日です。今年も文章で返礼品を贈ります。既に出来上がっております。よろしくお願いいたします。

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家。

 今日から誕生日である三月三十日まで、とりあえずまた毎日更新の再開。

 父の葬儀が終わっても、やることはまだある。諸手続き、遺品整理など。

 これはまったく知らなかったことなのだが、父は備忘録を書いていて、自身のことや母や僕ら子どものこと、例えば、いつどこの学校に入学したとか、結婚したとか、そういったことを残していた。

 そう言えば、昨年、頼まれてPCで家系図を作る手伝いをした。何か感じるものがあったのかな。

 

 

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葬。

 令和4年1月24午後2時40分、父が永眠しました。享年80歳。

 前日の晩ご飯の席に着くとき、首の背中側をたたいていて、なにやら痛がっていました。そして、僕はさっさと食事を終え、お風呂に入っていると、母が、「お父さんが倒れた」と。

 急いで最低限のことをして出ると、父は床に横たわっていました。母は救急に電話をし、気道を確保していました。僕は濡れた髪のまま救急車が来るのを外で待ちました。

 救急車が来て、なにやら言葉が飛び交っていましたが、わかりません。

 僕はとりあえず髪を乾かすと、ちょうど父は運び出されるところで、母が付いていくということでした。

 幸い、歩いて5分の距離の病院に搬送されました。母から電話でそれを聞き、駆け付けると、父は酸素吸入と血圧を下げる薬をのチューブで繋がれていました。

 お医者さんの説明によると、脳出血。頭部の全体にまで出血が広がっていて、このまま戻ることはないでしょう。早くて1,2時間、持って明日までとのこと。無理に延命するならいわゆる「植物人間」になると。それは家族一同望みませんでした。

 ときおりいびきをするかのように呼吸をする父。そこに兄と甥がやってきて、父に呼びかけました。すると、父は唸るように反応していました。まだ生きてやるという魂の叫びとも思えました。

 一時間くらい経ったでしょうか。病棟のほうに移し入院となりましたが、コロナ禍ということで面会できなくなりました。その場で解散し、帰宅しました。その夜はまともに眠れませんでした。

 翌日、連絡が来るのを待ちつつ、僕は抗不安剤を大量に飲んでいました。そして、二時過ぎに病院から連絡あり。急いで駆けつけると、すでに父は亡くなっていました。最終的にお医者さんが儀式的に確認し、「令和4年1月24午後2時40分死亡」と告げられました。死因は、脳出血、急性水頭症でした。

 父は穏やかな顔をしていました。

 その後、葬儀の手配を、つてがあるということで兄の奥さんが手早く進めてくれて、とんとん拍子に進みました。母と子と孫たちだけの小さな葬儀と決まりました。ちなみに、故人の意向で神式でした。

 翌日、通夜祭。遺体を見たり触ったりしてみましたが、あまり実感がわきませんでした。

 今日、葬場祭、火葬、収骨。あんまり泣きませんでした。

 

 

 車の運転中で他人様を巻き込まなかったこととか、認知症にならなかったこととか、介護が必要なかったとか、そのへんはよかったかなと思います。

 ただ、全体を通して、自分が泣くのより、何より母が泣くのが辛かったです。

 僕は僕でこれから少しずつ感じていくのでしょう。

 嫌いなところもたくさんあったけど、なんだかんだ言って、お父さん、あんた、かっこよかったよ。

売る。

 今日は肩慣らし程度の仕事始め。そして、午睡をしてから病院へ。

 計算したら、また、浪費が明らかになった。クレジットカードが無くても、後払いサービスで使ってしまう。

 本当は昨年の十月の時点で財政健全化している筈だったのに、十二月に延び、また二月に延び、となっていたが、さらに延びることに。

 売れそうなものは全部売るしかない。

絶句。

 午前二時ごろに寝て、八時ごろに起床。今日で年末年始休暇は終わりだ。ラジオを聞きながらぼんやり寝っ転がって過ごそう、と思っていたところ、在宅ワークの依頼。

 眠かったけど、起き上がって作業。どうやらコツを掴んだみたいで、さくさく進み、もう納品可能な状態。

 メルカリでは売りづらいものを古着屋に売却。二千円くらいかな? と思ったら、なんと百円。絶句。

 今日もまた古着屋に送ったけれども、たいした金額にならないんだろうな。日々の労働で稼ごう。

結果的に。

 メルカリの発送のほかは、なーんにもしなかった一日。只管ラジオを聴いて(聞いて?)、寝っ転がっていただけ。

 アレに向けて、アレの用意をしようかなと思い立つ。文学フリマ東京はそっちのけで。昨年の反省を踏まえ、今年は前もって。

 何か行動するのは、いつも真夜中。日付が変わったころに。就寝前の薬を飲んでからが本番といった感じ。

 年末年始、まったく創作をしていない。ただ、結果的に、こうやって日記を書き、己に向き合うことで、「出す」ことを忘れないようになっている。

殺。

 僕は酒が嫌いです。嫌いな理由は二つあります。

 一つは、父が何度も酩酊して失態を晒しているから。もう一つは、そんな父を見ていたのにもかかわらず、自分が人様に迷惑をかけてしまったから。

 昨日、兄一家が年始の挨拶ということで我が家に遊びに来て、上機嫌な父は結局、部屋から部屋へと歩くのに介助が必要なほど酔い、死んでしまうかのように眠りました。今朝、ちゃんと起きていてほっとしました。

 煙草は肺と咽喉をやりますが、酒は脳をやります。

抱っこ。

 昨日まで、と決めて書き続け始めたこの日記。まだ、続けられそう。

 姪が結婚する。日本海側の、とある旧家のご子息と。

 姉夫婦に男の子三人、女の子一人。兄夫婦に男の子一人、女の子一人。甥と姪は計六人いる。その中で一番早い結婚だ。

 みんな抱っこしたなあと思い出しつつ。

また明日。

 お仕事。一月は、大須の服屋を辞めた。クビを宣告されたからだ。それですぐに次のアルバイトを探し、二月の上旬に地元の古着屋で働き始めた。が、最後には極端に出勤日数が減らされた。それが十一月まで。そして、ついこの前、就労移行支援事業所で働き始めた。在宅ワークも始めた。

 心身。相変わらず眠るときは夢をたくさん見て疲れる。腰椎椎間板ヘルニアが治らないので、長い時間立っていられない。歩けないので、四月には70kgを割った体重もリバウンドしてしまった。醜い体が本当に辛い。筋トレを始めよう。

 お金。自己破産手続きが、十二月になってようやく始まる。いろんな書類を集めたり書いたりして司法書士に送った。いつになるかわからないが、一度裁判所に行かねばならないので、緊張している。

 以上、今年一年の振り返り。恋人が欲しいよ。

無い。

 昨夜、薬を飲まずに寝てしまって、午前三時から四時ごろに目が覚めて、そこで薬を飲んで寝たら、昼だった。

 そこからもまた寝てしまって、いろいろ夢を見て、疲れた。

 メルカリに出した財布が売れないのと、メルカリで買ったパーカがまだ発送されないのと。あと、追加受注した在宅ワークの作業用データが届くのが明日以降になるのと。

 今日は本当に何もない一日だった。