蝶になったあの日から

乙女心と秋の空 / HEAVY MENTAL HERTZ

葬。

 令和4年1月24午後2時40分、父が永眠しました。享年80歳。

 前日の晩ご飯の席に着くとき、首の背中側をたたいていて、なにやら痛がっていました。そして、僕はさっさと食事を終え、お風呂に入っていると、母が、「お父さんが倒れた」と。

 急いで最低限のことをして出ると、父は床に横たわっていました。母は救急に電話をし、気道を確保していました。僕は濡れた髪のまま救急車が来るのを外で待ちました。

 救急車が来て、なにやら言葉が飛び交っていましたが、わかりません。

 僕はとりあえず髪を乾かすと、ちょうど父は運び出されるところで、母が付いていくということでした。

 幸い、歩いて5分の距離の病院に搬送されました。母から電話でそれを聞き、駆け付けると、父は酸素吸入と血圧を下げる薬をのチューブで繋がれていました。

 お医者さんの説明によると、脳出血。頭部の全体にまで出血が広がっていて、このまま戻ることはないでしょう。早くて1,2時間、持って明日までとのこと。無理に延命するならいわゆる「植物人間」になると。それは家族一同望みませんでした。

 ときおりいびきをするかのように呼吸をする父。そこに兄と甥がやってきて、父に呼びかけました。すると、父は唸るように反応していました。まだ生きてやるという魂の叫びとも思えました。

 一時間くらい経ったでしょうか。病棟のほうに移し入院となりましたが、コロナ禍ということで面会できなくなりました。その場で解散し、帰宅しました。その夜はまともに眠れませんでした。

 翌日、連絡が来るのを待ちつつ、僕は抗不安剤を大量に飲んでいました。そして、二時過ぎに病院から連絡あり。急いで駆けつけると、すでに父は亡くなっていました。最終的にお医者さんが儀式的に確認し、「令和4年1月24午後2時40分死亡」と告げられました。死因は、脳出血、急性水頭症でした。

 父は穏やかな顔をしていました。

 その後、葬儀の手配を、つてがあるということで兄の奥さんが手早く進めてくれて、とんとん拍子に進みました。母と子と孫たちだけの小さな葬儀と決まりました。ちなみに、故人の意向で神式でした。

 翌日、通夜祭。遺体を見たり触ったりしてみましたが、あまり実感がわきませんでした。

 今日、葬場祭、火葬、収骨。あんまり泣きませんでした。

 

 

 車の運転中で他人様を巻き込まなかったこととか、認知症にならなかったこととか、介護が必要なかったとか、そのへんはよかったかなと思います。

 ただ、全体を通して、自分が泣くのより、何より母が泣くのが辛かったです。

 僕は僕でこれから少しずつ感じていくのでしょう。

 嫌いなところもたくさんあったけど、なんだかんだ言って、お父さん、あんた、かっこよかったよ。