何て言えばいいんだろう。ほんとうに何でもいいんだけど、目の前にライターがあるから例示する。たとえば、「燃える」って言葉。実際に外かなんかで落ち葉が燃えているのを観て、「これが燃えるだよ」って誰かに言われて、本当に「燃える」を理解しているんだろうか、僕は。
でも、「物理学で『燃える』とはこう定義されています」って教えられていなくても、なんとなくはわかってるじゃん。少なくとも、他者との意思疎通のときに、「燃える」は共有できるくらいには使える筈だろう。
で、何を念頭に置いていたのかと言うと、「愛してる」を理解することが、どんなに難しいことなのだろう、と。また、「愛されてる」を理解することも。ヴァイオレット・エヴァーガーデン のことを、ある方のtweetで、ふと、思い出したので。
だけど、悲しいことに、これくらいの思考って、誰でも思いつくんだよなあ。以前のアルバイト先でも先輩が言っていた。「自分が考えたことなんて、今まで生きてきた人たちが当たり前に考えていることなんだ」って。
じゃあ、諦めるか? 否! 僕はその先に行きたいのかなって。小説という形の表現で。論文みたいに先行研究を参考にして自説を語るというように。
それには、読んで、読んで、読んで、書いて、書いて、書くしかない。読むほうは量じゃなくて質。以前、引用メモした「ラーメンの大食いチャレンジ」ではいけない。ところで、書くほうはどうなのかな?
ある日には、貴女を月だと言ってみたり、ある日には、貴女を花だと言ってみたり、またある日には、貴女を蝶だと言ってみたり。そんな積み重ねなのかな? 違う気がする。そりゃ、天才じゃないから、数撃ちゃ当たると思って量産しなくちゃならんとは思うけど、その産むにあたって雑になってはいけない。
目新しい材料を使えば、そりゃ、見た目には新しく映る。でも、そんなんじゃ嫌だ。僕が好きになってきた人たちは、少なくともそうしたことはせずに、ぶっ飛ばせるものを作ってきたのだから。
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