蝶になったあの日から

乙女心と秋の空 / HEAVY MENTAL HERTZ

再生

僕の根本に有る難とは。

2人とも礼儀正しかったという。真面目だったから事件が起きたのではない。事件が起きるだけの内的蓄積があったから、その結果として真面目だったのである。
 ちなみに、わたしも子どものころは優等生であった。そして彼らとおなじように極端に社会性に乏しかった。なぜかといえば、もう理由を述べるのも面倒なくらい簡単な話だ。こうした親に育てられた子どもというのは、「安全な人間」というものをそもそも知らないのだ。だって育てた親が対人関係に難のある人物、つまり、付き合うのを避けて普通の生活が送れるなら、そうしたいというような人格の持ち主なのに、当の子どもにとっては、その人物と関わらずに生きる道が断たれているわけだ。なのに、どうやって対人恐怖の感覚を持たずに成長しろというのか、とわたしは尋ねたい。人間が怖ければ、当然人付き合いなんて「少なければ少ないほどストレスが少ない」のだ。テレビゲームに耽溺するのも、原因ではなく結果である。本物の人間のいない空間のほうが、のびのびできるから結果としてそうしていただけだ。

山崎マキコの時事音痴より引用
自分と同じです。勿論、事件を起こすほど極端ではありません。認めたくないけれど、事実。人付き合いは避けたいです。そして、悪循環へと繋がっています。
で、なんとか違う視点はないかともがいていたら“人が怖いと思っていたら、一人ひとりを見なくなっていた。人すべてに通用する手段があって、それがかけているからあきらめなくちゃならないと思い込んでた。そっちのほうがたぶん楽だったから。でも、「ヒト」という名前の人はいない。「人」という抽象概念とつきあっているんじゃない。名前をもったそれぞれ違う個人とつきあっているんだ。”と、考えるように至りました。
心の奥底に描く姿が孤独ではないことに気づきました。よかった。


[fashion]ぽい
ANNA SUIのピアスです。一目で「これイイ!」でした。細部も手を抜いていません。
あと紐がちゅるーっと飛び出してる白いニットのカーディガンを買いました。マフラーなどにも目がいってしまう。そんな時季ですね。