蝶になったあの日から

乙女心と秋の空 / HEAVY MENTAL HERTZ

ふさげない。

 二十三時更新の「指出毬亜のサシデナブルなラジオ」を聴き、ちょっとしてからおそらく日付が変わる前に就寝。六時ごろ目覚めるが、早過ぎるので寝なおして七時半ごろ起床。昨日の散歩と筋トレの疲れがしっかりと出ていた。出勤。

 帰宅後、午睡。あたまはすっきり。体はまだ疲れが残っていたので、今日の散歩はなし。筋トレも。

 家でのラジオ聴取をする習慣を見直そうと思った。漫然と聞いて(「聴いて」ではない)いるせいで時間を無駄にしている気がするのだ。だから、楽しめるものを取捨選択しようと思う。

 言葉の用法の変化について自分の捉え方。例えば、「だから」は、昔々は、「○○だから、××である」と文頭には使わなかった。けれども現代、文頭に使うのは一般的。その流れと同じ考えで、文頭に「なので」を使っても構わないと思う。ほかには、「下駄箱」なら下駄なんか入っていないけれども、下駄箱でいいと思うし、「つり革」も革を使われていないけれども、つり革でいいと思っている。時代に連れて変わっていくのは受け入れられるが、流行り廃りがある言葉遣いは苦手だ。