蝶になったあの日から

乙女心と秋の空 / HEAVY MENTAL HERTZ

2024/08/11(日)

 昨夜は日記を書いたあと、佐藤信夫著『レトリック感覚』の隠喩の章を読んだ。またりんごで例える。「頬がりんごのように赤かった」が直喩なら、「頬がりんごだった」が隠喩であるのだろう。

 その後、惰性じゃないラジオをいくつか聴いて、日付が変わって午前零時から超A&G+で放送の「小松未可子のSunday Share Night」を聴いて眠る。起きて計量をして朝ご飯を食べたら、また眠っていた。どうやら疲れていたらしい。十二時過ぎまで寝ていた。

 夢を見た。Perfumeの三人が近所のショッピングセンターのイベントに登壇した。僕はそれのスタッフで彼女たちの帰りを警護して見送った。そして、そのあと僕は笑福亭鶴瓶氏と松重豊氏と三人で同じところでトークショーをする予定だったのだが、松重氏が現れずショッピングセンター内を探した。すると、そのうち花を抱えた松重氏がやってきて合流し、イベントスペースへ行くが、観客席はガラガラ。然し、女性が三人だけいた。なんとその人たちはさっき送ったはずのPerfumeだった。という夢。

 そんな浅い眠りを繰り返し、シャキッと目が覚めたら、佐藤信夫著『レトリック感覚』の提喩(訂正:換喩)の章を読んだ。これはりんごでは例えられない。いや、できるか。例えば、りんごを持っている子とぶどうを持っている子がいて、「りんごは歌った。つられてぶどうは笑った」というような比喩である。おもしろい。