昨夜は「鷲崎健・河野ひより8ぶおんぶ」を聴いたあと、二十一時半からYouTubeでプレミア公開の「河野ひよりのてれかくし」を視聴して、ぼんやりして、二十三時から生放送の「大森綺星のトキメキララ!」を聴いて、それから日を跨がずに寝た。目が覚めて、即効性の頭痛はなかった。行けるかな? と思っていたが、遅効性の頭痛にやられ、欠勤。それが治ったあと暫くして不安にも襲われた。なかなか連日の出勤とはいかない。悔しい。
その後、全快してから惰性ラジオを聞いてしまいそうになったが、これ
をBGMにして読書モードに。読むのはこれ。
直喩の項を読み進める。
なるほどなあと思ったのは、例えば、「りんごのような頬」(ちなみにこれはこの本には出てこない僕の例え)。「りんごと言えば、赤い」と思うのが一般的だろうが、また例えるが、太宰治が書いたなら彼は津軽出身だから「ふじ」を念頭に置いて書いているかもしれないが、読み手が思うりんごは違う色をしたものかもしれない。作者がどんなに言葉を尽くしても、その意図を受け手が汲み取れない場合があるのだ。ということ。
映像作品もいいけど、やっぱり文章はいいなあ。行ったり来たりして読むのが容易だし、読むこちら側の想像力に委ねてくれるところもあるし。