詩にメロディーは無い
死にメロディーは無い
即ち、詩=死
古来伝えられてきたこと
しかし、断頭台にはメロディーがある
そして、詞はメロディーが無ければ成立しない
詩、死、詞
わたしは私(シ)を歌う
Alternate Take
詩にメロディーは無し
死にメロディーは無し
即ち、詩と死は等価
古来より伝えられしこと
しかし、断頭台にメロディー有り
又、メロディーに詩を乗せれば、それは詞となる
詩、死、詞
私(ワタシ)は私(シ)を詠む
ふつふつと湧き上がる虚無。わたしはせっせと掬い上げ、胸に抱え、貯め込んでいる。わたしは何も持っていない。わたしは何の役にも立たない。無は罪。そんな罪悪感に苛まれる。この耳鳴りは、きっとそれを表しているに違いない。
無から生み出すこと。しかし、わたしはそれをやらねばならない。腕組みをしながら、項垂れながら、上半身を揺すりながら。やっとの思いで言葉を繰り出している。
ふと、思う。わたしが伝えたいことなんて、本当は無いのかもしれない。ただ、ただ、うわべだけの美しい言葉を並べていれば自己陶酔できる。そして、その嘘を繋いで、紡いでいけば、遂に完成。
でも、それでは貴方に申し訳ない。と同時に、「もっと自分勝手にやっても誰も文句言わないよ。自惚れるな」とも思う。とりあえず今は後者を選んでみる。好きなことを好きなようにやる。この制約の下でやってみる。余りに自由な不自由。美学のように貫くよ。
英語学習を三か月くらいしている。段々と耳が慣れてきたのか、少しは聴き取れる言葉が増えてきた。先日観た映画、「ボヘミアン・ラプソディ」も一割くらいはわかった。
学習方法は、NHKのラジオ放送のアーカイブが聴けるサイトで「基礎英語1」と「ラジオ英会話」をとにかくシャドウイングしながら聴いている。また、スマートフォンアプリ「Duolingo」を使って、ちょっとした時間に学習している。
あと、「自分が発音できない言葉は聴き取れません。いわゆる空耳になってしまいます。まず正しい発音を学びましょう」なんてうたい文句の『英語耳』という本を買ったのだが最初のSの発音練習でつまずいている。"SEA"と"SHE"の区別がつかない。
以上、10分。
それは差別なのか何なのか。ずーっと思っている。考えてはいない。わたしの基準だと「思う」は抽象、「考える」は具体。具体で組み立てて抽象に還元したい。足が不自由なお年寄りのお客さんがいる。その人は車いすや杖を使わないで来る。人並みに歩けないことを、本人は自覚しているようだ。「車いすを使わないと」と口にする。しかし、いつまでたってもその気配はなく、毎回その人が歩くことの補助が必要である。動くイスを貸し出したり、店からタクシーまでの間に肩を貸している。ほかのお客さんの例が頭に浮かぶ。ある目の不自由な人は、事前に欲しいものを電話で伝えてくれる。完全に脚が動かない人は車いすを使っている。甘えるなって思いたくないけど、本心では思っている。でも。わたしも障害者だ。甘えるなって思っていいのか。ここで一旦は「甘えは許していい」と思った。しかし。昨日、財布を渡してきて、ここから硬貨を出せと言ってきた。それは、違わないか? たしかにその人はコミュニケーションに少し難がある。こちらが言うことは伝わっているようだが、あちらからが言うことはわからないことも多い。何か障害を持っているのかもしれない。でも、何だかなあ。さらに、昨日はがっちり寄りかかられ腕の肌を触られた。そこは、不快だった。これでもその人の手助けを続けるのが、わたしの望む「弱者に優しい社会」なのか?
書ける出来事いっぱいあったけど、何にも書けないな。そういう書き出しで、とりあえず。3か月近く放置。ライヴの感想とか、みけちゃんにあったときの話とか、いろいろあるんだけど、そういうのの後って必ず疲れで寝込んじゃって書けなくて、タイミングを逸してしまう。飽きてないです。言葉のデフレと言いましょうか。言葉が大切で大切で、出し惜しんでいる節がある。だから、英語に逃げているのかも。逃げることは、即ち悪だなんて思わないし、負けたっていいし。全肯定。ALL OK.まあ、今夜はリハビリで。四百文字を目標にして。文学フリマ。出れないかもしれない。それが目下の憂鬱。作品が進まない。実験作であり、集大成でありってのをやろうとしているからかもしれない。話を変える。体重とか肌とか、醜くなっているので、ちゃんとする。食生活、運動、ケア。己の顔などというものは、鏡に映ったものしか見えない。鏡とは、そう、この言葉たちだ。
昨日、遅刻をしました。「疲労がたまっており、起きられなかった」のが理由ですが、何も言い訳せず、職場に行きました。
すると店長に「『有給をとるなんて舐めたこと』しばらく控えるように。先週も遅れてきたのにそのあと有給を(新たに)申請していて、正直腹が立つ」と言われました。「有給をとるなんて舐めたこと」は、一言一句間違えず記憶しています。
年休(わたしは有給より年休の略称を用いたいので、以下、年休とします)と言っても、確定しているシフトの出勤日を休みにしていません。もともと休みの日を年休に当てています。
わたしは月に一、二度、大幅に遅刻したり、ときには欠勤したりします。その度に、怒られるというか、「負担が増えてこっちもしんどいんだ」と主に先輩G氏に不満をぶつけられます。店長も、昨日の遅刻で積もりに積ったものが出てしまったんだと思います。
これまでわたしの病状(うつ病)は何度も説明してきました。でも、「なったことがないからわからない」と言われます。わたしが感じるところ、「気の持ちよう」と思われているふしがあります。
で、今回の件の店長の発言には怒りは感じませんでした。冷静に、「あ、そういう、法で保障された権利を縛るなんてこと言っちゃうんだ」が感想です。この職場の人々に言っても何も変わらないと思って、先ほど本社の偉い人・O氏に電話をして、今回のこと、今までのこと、自分の現状、等々語り、助けてもらえないかと相談しました。
これでO氏がなあなあで済ませようとしたらどうしようと心配していたのですが、店長の上役を動かし、店長、そして先輩G氏から聴きとり調査を行うと約束してくれました。
わたしはわたしで現状の思いをA4の紙一枚にまとめ、職場のみなさんに読んでもらおうとしているところです。
たぶん、続きます。
ざっとしたメモ
・賃金が上がらない理由のひとつ。賃金の上方硬直性の存在。賃金はいったん上げたら下げられなくなると企業は考え、業績はいいし内部留保はたまっているが、それを賃金として分配しない。
・内部留保。海外に蓄積されている利益の内部留保が大きな額に上っている。海外進出した企業の利益が日本に戻ってきていない。海外で再投資する為か、為替の影響を調整する為か理由がよくわからない。だから、実は内部留保がどこにあるかもはっきりしていない。
・介護士が薄給なのは市場メカニズムが働いていないから。また、介護報酬が上がっても賃金や雇用が増えていない。どこにお金が流れているのか不明。
・↑それには統計の壁がある。統計が整備されていないのでデータが無く、有効な対策を提言できない。
・グローバル化。企業の海外進出と国内の雇用の相関は必ずしも強くない。
・1970年代には、1日10時間以上働いている人はそれほど多くなかった。それがだんだん増えてきて、2011年のデータでは、男性が5割くらい、女性も2割くらいが1日10時間以上働いている。ただし、1週間当たりの労働時間は、今も昔も実はほとんど変わっていない。週休2日制が導入されたことで休みの日数は増えているものの、その分、月曜日から金曜日にかけて仕事を詰め込んでいる人が多い。
・長時間労働は精神面に悪影響を与える。
・労働時間と生産性。長時間労働を是正しすぎると、国力を損なうのではないか? →アメリカの毎年の時間当たりの生産性を100とした場合日本の生産性は6割くらい。これにはサービス残業は含まれていない
・長時間働くことに幸せを感じているのではないか? →バリバリに働いていた日本人サラリーマン約400人に調査を行った。ワーク・ライフ・バランスを重視する現地法人に赴任するとどうなるか。好きで長く働いていたのなら変わらず長時間労働をするはず。しかし、労働時間は短くなり、有給休暇取得日数も増えた。
わたしが気になったのは上記のとおりです。
あと、今の政権がやっている「働き方改革」はFUCKIN'