他人事ではないこと。しかし、すべてを自分のこととして受け入れてしまったら、許容量を超えてしまうだろう。いつも思う。線引きのことを。
たとえば、どこからが空でどこまでが地上か。地上何メートルから、という定義があるのだろうか。仮に地上三千メートルだとしよう。海面から見上げれば、そこは空と言える。でも、富士山だったら、そこは地上だ。
定義は、誰かがつくったもの。でも、僕はあらゆるものはグラデーションであったり、多面的であったりするので、本当は言葉通りそのものは存在しないと考える。
ただ、決めなくちゃ話が進まないから、仕方なく定義している、のだろう。
オリンピックも人の死も11時間労働の果ては自分のことしか考えれなくなる。
— マナミ (@stardust_m) 2018年2月22日
このマナミさんの言葉に胸を打たれた。僕もそうだ。インターネットで触れる様々なニュースや話題も、毎日の疲れでピンと来ない。僕は痛みのわからない人間。