学問は面白いのか?
教育問題に関して、「知らなかったことを知るという行為にヒトは快感を覚える。だから、本来学問は面白いものだ。子どもが勉強を嫌いになるのは学問の教え方が悪いからだ」と言う人がいた。
後半部分には同意。僕の経験でも、退屈な授業をする教師はいた。そのせいで僕は勉強の効用を得られていない可能性がある。
しかし、前半部分について、学問それ自体が面白いなどと言えるのだろうか。そんなもの感じ方次第だろうにと思ってしまう。脳におもしろいと感じる回路が無ければ無理じゃないの。
例えば、○春の音楽がこれこれこういう理由(音楽的に高い水準だとか、新しい試みをしているとか、詞がかっこよすぎるとか…etc.)で素晴らしいと、僕が○春を知らない人に向かって説明をして、その人が目覚めるかもしれない。当然、僕が論理的でない説明やその他説得力の無い説明をしたならば、せっかく○春の音楽が真に素晴らしいものであっても伝わらない。そういう点で教え方・伝え方は重要だ。しかし、○春の声を聴いて「気持ち悪い」なーんて言う輩が残念ながらいるわけです(賛否両論、それくらいのアクがあったほうがおもしろいと思う)。そうなると存在それ自体がおもしろいだとか素晴らしいだとか言えないと思う。例えが的外れかもしれないですけど。
ただ、多くの人の知的好奇心を刺激する(多くの人が面白いと感じる)学問というのはあると思う。理科の分野なんかがそうじゃないかな。そういう知的好奇心を刺激するものを探すための能力を獲得するのが勉強の1つの意味では。自分にとって面白い学問を見つけるための学問とでも言いましょうか。
まあ、それが選抜時の合理性のために歪められているというありきたりな結びです。
んー、できない人の気持ちをわかりたいし、わかってほしいというのがありまして。「学校のお勉強」に関しては、なんというかできないほうではなかったのですが、その他たくさんのことは「できない人」なので。
ニ○トに対して「自分を正統化するための言い訳を繰り返してる」と今朝のテレビで仰ってる方がいました。できる人はできない人の気持ちを想像できないし、できない人もまたどうやったらできるのかがわからないし。
「世間であたりまえのように立派だと思われていること」に対して反発があるんだよなあ。
このへんはとりとめなく考えていますよ。
「経済を維持させるには、成長させなければならない」と、こんな格言はありませんが。えっと、例えば失業率を今の水準に保とうとするならGDPは前期と同じではだめで少しは伸びていなければならないのです。それと同じで(どう同じで?)人間の場合、幸せは現状を維持するだけでも、ちょっとは何か成長しなければならないのかなあと。
書きながら考えてたら、わりと良い方向に行きついた。