ゆた(id:shade)さんが薦められていたので(いつもありがとうございます)。
帯に「文学は、『現実』も『人の心』も描けない。すべては“錯覚”にすぎないのだ――。」とあり、筆者のこの持論を日本文学史をたどりながら丁寧に解説している本。
引用します。
そう、ここでついに僕たちは、芥川龍之介がうまく言えなかった「純粋な小説」のことを思い出すことができるのです。
つまり芥川が言おうとしたのは、こういうことではないか。僕たち日本人は「ありのままの現実」を描いたつもりになっても、それは錯覚に過ぎず、いつも虚構になってしまう。しかし芥川がセザンヌを例に挙げているように、むしろリアリズムに基づいて、現実そのものを描こうとすることのほうが古いのではないか。新しい文学表現とは、リアリズムで現実を描けると考えるのが錯覚にすぎず、自分たちが描けるのはどこまでいっても虚構なのだと認めて表現を深化させていくことではないか。
芥川の書いた「デッサンよりも色彩に声明を託した画は成り立つ」というのは、現実をそのまま描くのではなく、書き手の目で見た景色を自由に彩って表現してしまってもいいのではないか、という意味でした。それはイコール、現実を見たとしても、虚構性を重視して世界を描いていい、という意味に他なりません。日本人は西洋人のように匿名的で客観的な「私」の視点などは描くことはできない。常に、個性的な登場人物を作り出し、その視点からしか世界を描けない。それは、日本流の自然主義や私小説、ひいてはライトノベルまで、僕たちが作り上げてきた「新しい文学表現」だと言える。
信じていいのかな。